いただきます

少し前に、「給食費をちゃんと払ってるんだから、「いただきます」と言わせるな」という親がいるという話を耳にして、それ(払う)とこれ(いただきますと言う)とは話が別だろう、と思っていたら、結構大きな騒ぎになっているらしい。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/shoku/news/20060121ddm013100126000c.html
手を合わせることが「特定宗教の行為では?」という話もあるそうで、こちらは、宗教によっていろいろな形があるので、多少理解できないわけではないけれど。仏教というか禅宗には「五観文」とか「五観の偈」と言われる食事の前に唱えるものがあり(中学か高校のときの宿坊への宿泊訓練で習った気がする)、キリスト教も(確か)お祈りをする。他の宗教は知らないが、多分あるはず(ところ構わず自分の宗教の話しか出来ない人たちのおかげで宗教嫌い)。それは、お金を払う・払わないではなく、「作ってくれてありがとう」とか「食べられることに感謝」だと思うので、そういう気持ちを持ち、気持ちを表すことだと思えば、特に問題視することではないと思うのだけれど。お金を払う・払わないにこだわるなら、親がお金を出してくれたから食べることができるので、親に感謝の意味で「いただきます」、でもいいと思うけど。学校などでは画一的に言わせていると言われれば確かにそうだけれど、それって躾の一環、練習とは思えないのかしら。あいさつ運動とかもするのに。

「五観の偈」by Wikipedia

  1. 一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
    (一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。)
  2. 二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。
    (二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。)
  3. 三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
    (三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。)
  4. 四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
    (四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。)
  5. 五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。
    (五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。)