日本語の難しさ

「齟齬」という表現について、いろいろと思考中。
色々な立ち位置で、それぞれの立場の人が一堂に介し議論をしたとき、当然そこには、それぞれの立ち位置に沿った意見が出てくる。ブレーンストーミングにおいては、どちらが間違いでも正解でもない。その中で意識の差や認識の違いを感じたときに、「齟齬がある」と一言で終わらせてしまうのは建設的ではないな、と思う。
「齟齬」には、「物事がくいちがって、意図した通りに進まないこと。また、そのくいちがい。」というどちらかといえばマイナスイメージがある言葉だから。何も意図したとおりに進む必要はないのだ。相乗効果で良いものが生まれればそれでいい。お互いの差が認められればそれでもいい。
ただ、その場を運営するスタッフが、(意図したものではないにせよ)総括的に「齟齬がある」としてしまった場合、参加者の思考を停止させてしまう恐れがある。スタッフではなく、一参加者、一講師のコメントなら一意見で済むけれど、運営側が中途半端に口に出すべき言葉ではないと思う。